Vegaを量産した話

12/22/2020

Note to English readers: This is an article written for a keyboard advent calendar project in the JP keyboard community. I might get around to translating and rewriting it, but as usual no ETAs.

この記事はキーボードAdvent Calendar 2020の22日目の記事です。
21日目はBiacco42さんの「自作キーボードと 3D プリンターとものづくりの民主化」でした。

 

Vegaとは



Kevinplus氏と共同開発し、TypePlusを通して発売されたキーボードです。
2019年8月に発売したPolarisというキーボードの別サイズ・改良版として開発され、シンプルな見た目に最高の打ち心地や打鍵音を詰め込むのを目標としたした物です。
詳細を書くと長くなってしまうので、代わりに紹介ページのリンクを貼っておきます。

https://geekhack.org/index.php?topic=106983.0

この記事では、そのキーボードを設計・量産した行程の裏話を語ります。


下書き段階


Vegaの設計は2019年6月に始まりました。

未だにPolarisの発売が開始されてないにもかかわらず改良版の設計に取り掛かったのは、最終設計から最終試作品の生産、それからの販売の準備に相当時間が掛かるからです。
この時点ではPolarisの最終設計は既に完成していたので、まずはそれをベースに設計を開始しました。


Image: Polaris(左)とVega(右)。60%サイズから65%サイズに変更され、行が1つ増えている。

別サイズ鍵盤を作るにあたって、いくつか残っていたPolarisの不満点を改善することにしました。

  • 外見をシンプルに仕上げたので、ネジがとても目立ってしまう点
  • 組み立てにはんだ付けが必要で、初心者には不向きな点



Image: 開発段階初期のVega。未だにネジは外部にあり、ウエイトの刻印もPolarisのまま。

ネジの問題は内部へネジを移動することで解決しました。
また、はんだ付けの問題はKailh製のスイッチソケットを利用することで解消しました。

そしてせっかくなので、PCB設計時に手書き感を出すために全てのトレスの角に角丸をフリーハンドで書きました。


Image: 曲線はいいぞ

この段階ではゆったり開発し、「2020年Q2辺りにGroup Buy方式で販売できれば良いな」程度に気軽に設計していました。
他のキーボードの設計(AndromedaOrbit-Xなど)で忙しかったこともあり、特に急がずにゆったりと製作していきました。

 

一大イベントに間に合わせる


緩い雰囲気が消し飛んだのは2019年の冬。
12月7日にThe Keyboard Assembly(通称SoCal Meetup)という大規模キーボードイベントが行われるということで、Vegaを共同開発(主に生産側)していたKevinplus氏と「出展してVegaの実物を持っていったら宣伝効果がありそう」と話し、開発を急ぐことにしました。

試作品はPolarisと殆ど同様に仕上がりました。変更された点は
・ネジを隠す構造
・ウエイト部分の色をマットグレーからマットブラックへ変更するために素材を真鍮からステンへ交換
・60%から65%へレイアウト変更

内部構造はネジの構造を除き、Polarisで使用されたガスケットマウント(防振素材で打ち心地を制御する構造)と大体同じでした。

試作品が届いたのは11月29日。ぎりぎりながらも無事SoCalイベントでVegaを初公開できました。


Image: 届いた直後の試作品第1号。ウエイトは既に指紋まみれ。

なお組み上げるためのスイッチなどは不足していたので、ケースのみの状態での公開となってしまいました。


一大イベントに間に合わせる(その2)


SoCalイベントから遡ること数ヶ月、Wilba氏設計のThermalというキーボードの活躍を見て、そのキーボードで使用されている「リーフスプリングマウント」という構造に興味を持ちました。
ガスケットマウントのようなゴムやフォーム材を使わずに、プレートに切り込みを入れてバネを作る方式は生産面でも有利で、実際に試す機会は無かったのでその感触や性能は未知数でした。
散々迷った挙句、結局最後までリーフスプリング対ガスケットの決断が決まらなかったので、実際に両方作って比べてみることにしました。
そして実際にイベントで試作品を公開して意見をもらいたかったので、また時間との勝負となってしまいました。
リーフスプリングの試作品を作ると決断したのはSoCalイベント3日前の12月4日で、間に合わせられる次のイベントは12月30日の忘年キー2019。試作品発注から気が緩まない1ヶ月となってしまいました。
実際にリーフスプリング版試作品が届いたのは12月27日。3日間でスイッチなどを準備し、30日のイベントに持っていきました。


Image: 世界に一つのリーフスプリングVega。

そして自分でも試して比べ、イベントに持参して意見をもらい、最終的に出た結論は…

「違いがあまり分からない」でした。

 

キーボードの極限をめざして


この結果は「どちらでも使用感は良いから、生産性などの別の理由で決断すれば良い」として捉えることもできますが、私にとってはショックでした。
Polarisの始まりから1年かけて一生懸命に作り上げたキーボード構造が、思いつきで設計した別物と大差を付けられなかったのです。
この時点の状態のVegaでは、今まで目指してきた「最高の性能のキーボードを作る」という目標には全く届いていないという現状でした。

ということで、再度すべてを見直し、Vegaを作り直すことにしました。
出発地点として選んだのは今までのガスケットマウント。その構造の方が複雑で、改善やチューニングを細かく調整できると思ったからです。
また、リーフスプリングの激しく動作するバネ式の構造よりも、ガスケットの落ち着いた動作の方が好みだったからです。

様々な音や振動の研究論文や技術書などを読み、キーボード構造を再度ゼロから見つめ直し、打鍵感と打鍵音を両立させるための技術を研究。
見た目にも再度目を付け、角丸の形状などを0.05ミリ単位で変更しては比べを繰り返し、Polarisを超えるシンプルかつ快いデザインへ挑戦。
使用者側からだけではなく、生産者にとっても最高のキーボードを目指し、加工のしやすさや箱詰めの単純さなどへの配慮。


Image: Vegaの内部構造。見た目は地味

そして3月28日に最終デザインとなる設計が完成し、試作品の発注を行いました。


先が見えない状況での決断


ただし、最終設計を行っている間に新型コロナウイルスが全世界で流行し始めてしまいました。
再設計の遅れに加えてキーボードの生産も大幅に遅れ、2020年前半期にVegaの発売をすることは不可能になってしまいました。
このような状況の中で5月中旬にに最終試作品が届き、販売前の最終確認が始まりました。


Image:最終試作品。背景は唯一家の中で床の見た目が綺麗な洗面所の床

この新たな試作品の結果はとても良好でした。前の試作品に比べると、打鍵音と打鍵感両方で大幅な改善を実感することができました。

ただし、設計は完了したものの、この時点で販売予定は白紙。
元の予定はコロナウイルスの状況で破棄され、発売日以前に発売形式も未定な状態でした。

この状況の中、生産作戦を立てたのはKevinplus氏でした。
その作戦は「とりあえず1000台作る」というとんでもない物でした。

「コロナウイルスの影響で未来が完全に予測不可能な状況でありリスクも高いが、キーボード需要は増えるばかりで、チャンスをつかむためにも一か八かで大胆に動きたい」というその作戦には最初は反対でしたが、彼の意志は固く全台完売の自信もあり、最終的にはリスクを冒し発注することにしました。

 

需要を作る作業


1000台の生産が決まったことで重要になったのは、1000台を売り切るための需要を確保する事。

生産が完了するまで時間が掛かったので、このような事をしてゆっくりと準備をしました。

  • Kevinplus氏によるレンダー作成
  • GeekHackというキーボードサイトでInterest Checkを投稿
  • 量産が進むに連れ届いた量産サンプルをプロの撮影スタジオに頼んで撮影してもらい、ソーシャルメディアに投稿
  • Discord上での活動


Image: 宣伝以外に殆ど使用していないインスタ

この間「受注生産ではないIn-Stock分はある」以上の情報の公開は控え、発売2週間前まで静かに1000台分の販売の準備をしました。


運命の瞬間


元の予定から半年遅れること11月14日に発売が決定されました。
Kevinplus氏の賭けは見事成功し、拡大したキーボード市場では高級キーボードでも1000台が瞬時に売り切れてしまうほど需要が増えていました。
ただし、逆に「1000台では足りない」という問題が出てきてしまいした。

Kevinplus氏が販売のために新たに立ち上げたウェブストアではShopifyを使用することにしました。
また、販売形式は一番転売Bot対策となるFirst Come First Serve方式にすることにしました。


Image: 発売日に使用されたDiscordサーバー上のチャット隔離チャンネル

 

そして発売当日。
アメリカ東海岸時間の正午ごろに発売することにしたので、日本時間の午前3時まで起きていることになりました。
発売30分前まで何度も全ての設定や在庫数を再確認し、ついにやってきた発売時刻。この1年半程度苦難を乗り越え、Kevinplus氏と本気で設計し準備した1000台のVegaは…


2分で売り切れました。


完売に文句は言えないですが、やはり需要に応えるほどの在庫ではなかった模様。
生産台数を決断したあの日に妥協して台数を減らしていたら、さらに悲惨な状況になっていたかもしれません。

その夜はDiscordサーバーの管理や購入者への対応に追われ、日が昇るまで寝ることは出来ませんでした。


あとがき


残りの需要に応えるために、後にGroup Buy方式の販売を行いました。つい数週間前にゆったりと完売し、今は工場への発注の準備をしているところです。

この記事を書く際にVegaの設計と生産に関するメッセージの履歴を見返すと、行き当たりばったりな行動が相当目立ちました。次の一大プロジェクトの際は、もう少し規則性や心の余裕を持って取り掛かりたいと思います。

これほど長い記事を書く予定はなかったのですが、情報を上手くまとめる文章力が足りずに長引いてしまいました。次の自分への課題は、キーボードを作ることではなくキーボードを使いこなす技術を身に付けることかもしれません。